ヤン・チヒョルトのペンギン・ブックス

すっかり黄ばんでしまっているが
懐かしい本が棚から出てきて、ひととき思いを巡らせた。
「ペンギン・ブックス」はイギリスのポピュラーなペーパーバックス
で、日本でいえば「文庫本」にあたるだろうか。

 
この本はもう30年程も前(私が森啓デザイン研究室で
お世話になっていた頃)、森先生といっしょに立ち寄った本屋
(丸善だったか?)の安売りワゴンからピックアップしたもの。
「ペンギン・ブックス」の中の「ペンギン・シェークスピア」シリーズ
の一冊で、ヤン・チヒョルトがデザインを担っていた時期のもの
ではないか?と、直感して手に取ったことを覚えている。 
 
ヤン・チヒョルトのことだが…。
ヤン・チヒョルトを一言でいえば、タイポグラフィの世界を一変させて、
今日世界中で見られるようなタイポグラフィやデザインに
大きな影響を与えたとされる人だ。
彼は伝統的なタイポグラフィがどんな内容のテキストも左右対称に
組むなど、形式主義だとして批判。
「ノイエ・タイポグラフィ」(1928年/ドイツ)という著作を発表する。
タイポグラフィの本質は明快さであると主張。
内容をより明瞭に伝達するために、それまでの形式ではなく
左右非対称(アンシンメトリカル)など
機能主義による文字組を提示した。

 
この頃、つまり1次と2次世界大戦の狭間のヨーロッパでは、
社会的に様々な変革が起こりつつあり、デザインの世界でいえば
バウハウスなどによってモダンデザインが成立する時期でもあった。
そうした時代のうねりがあった時期とはいえ、この著作が
チヒョルト26歳の時のものだというから
時代にシンクロするということの凄さを感じる。
「ノイエ・タイポグラフィ」の主張はドイツを中心にヨーロッパで
センセーショナルを巻き起こし、戦争が終わってからは
アメリカ大陸にも拡がって今日のデザインやタイポグラフィーに
繫がっていく。
 
だがチヒョルト自身はナチスドイツを逃れてスイスに移住し
どうしたわけか2次大戦が始まる前から早々とモダンデザインと決別して、
自ら批判していた古典的なタイポグラフィを再評価して回帰してしまう。
そしてずっとスイスに住んでいながら、戦後から今日までの
いわゆるスイス派(スイス・タイポグラフィ)の興隆や
モダンデザインの流れにも一線を画していたという。
       
話しは「ペンギン・ブックス」に戻る
2次大戦が終わってすぐに、チヒョルトはイギリスに招聘される。
「ペンギン・ブックス」のデザイン面を監修するためである。
1947年~1949年までの間にペンギンブックスの本文組版ルールから、
個別の装丁まで時には自らオーナメントなどを製作しながら、
ブックデザインのデレクションを精力的にこなしたらしい。
こうした「ペンギン・ブックス」に収録される
多様なジャンル・内容の本をデザインし形を与えていく作業は、
おそらく革新的な時期から伝統的なものへの回帰を経てこそ
可能だったのだろうと想像する。
私の書棚から出てきた1冊はこうした時期につくられたもので、
装丁もチヒョルトの手によるものとされている。
 
「ペンギン・ブックス」を終えてからは、67年にオールドローマンに
範をとった有名なフォント「Sabon」を発表するなど、
チヒョルトの人生の中でも充実した時期といわれている。
 
   岡野祐三
 
 
参考資料
*「文字百景053──ペンギン組版ルール」朗文堂(絶版)
  ヤン・チヒョルトのペンギン組版ルールを和訳したもの。
*「現代デザイン理論のエッセンス」ペリカン社(絶版)
  この本は40年以上前の学生時代に購入したもので、
当時の私自身のボーダーや書き込みが残る原弘先生の
   「ヤン・チヒョルト」の項を再読してみた。

 

 
補足
*「ペンギン・ブックス」は現在では電子ブックとしても発行されている。

 

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