写真を巡って──小島一郎と濱谷 浩のこと

今年になってさまざまな出来事の重なりから、私の中では「写真」を巡る気分が続いている。
その要因のひとつに、以前このブログでも紹介された写真展「小島一郎──北を撮る」の最終日に間に合うよう、3月はじめ雪の青森に行ったことがある。
その展示物の小さな新聞記事のなかに、写真家・濱谷 浩への敬意を込めた小島一郎氏のコメントを見つけ、以前から二人の写真に共通性を感じていた私は、我が意を得た気分だった。思いついて、帰ってから濱谷浩自身による半生記「潜像残像」を再読してみた。おそらく私の20歳代前半に買い求めた古い本で、濱谷が渋沢敬三を師とした民俗学的なアプローチで写真に取り組む部分以外、すっかり内容を忘れていて、あらためて新鮮な気持ちで読み進んでいた。
すると3月18日、朝日新聞の「美の履歴書100」に濱谷の作品が載っているのが目に付いた。記録性と芸術性を両立させた濱谷の代表作として「田植女」を取り上げていた。この写真は「潜像残像」に掲載されている濱谷の写真で、最も印象的な写真だった。シンクロニシティ?

過酷な環境下での労働をドキュメントしようとした濱谷にくらべ、小島の写真にはもう少し郷愁というかロマンティシズムが漂うが、日本の自然と・風土、そこに生きる人々を印象的に写し止めた…という点に、私はずっと二人の共通性を見ていたのだった。
戦後の「リアリズム」には距離を置いていたといわれる小島一郎にとって、民俗学的な…濱谷浩と共通の…といった私の物言いは愉快でないかもしれないが、まさに記録性と芸術性を両立させたという意味で、二人ともこころ惹かれる写真家である。

岡野祐三(遅ればせながら4月はじめの発表から時を経たまとめ) 

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