船越桂 夏の邸宅



この夏 船越桂の彫刻展が東京都庭園美術館というアールデコ調のインテリアそのものである空間で行われた。何も期待しないでみるというのはいいものである。船越かつらの彫刻なら観てみたいと思い 倦んだ日差しの夏の午後 庭園美術館に足を運んだ。待ち受けていたのは 変貌した船越だった。この人の興味は人そのものにあるようだ。それぞれの人生それぞれの顔や形に興味があるようだ。多分それぞれの場におかれたむき出しのいのちとしての顔なり形なりに 人間の実存を感じながら 感じることの難しい状況の前に立っている感じである。彼がテーマにえらんだスフィンクスは 人間に謎を出しては 答えられない人間を取って食べたらしい。それにスフィンクスはどうやら両性具有だったらしく これはユング的にいうと統合された人格のシンボルではないかと思う。体と魂 男と女 これらの二元論的なモノを統合するスピリチュアルな存在の象徴かもしれない。われわれはこのスフィンクスに存在を問われ 自らの存在の軽さゆえに 息をのまざるをえない。虚構のスフィンクスの方が確かな存在感をもち エロス的であるという意味できわめて人間的であるのである。わたしたちは スフィンクスの前で飲み込んだ言葉を どこで回復するのだろう。

堀木一男 

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