「瀬戸内芸術祭」に行ってきた
2013年11月11日
2020年10月2日
知らないところに行くのが好きだ。
知らない土地で、様々見聞きして、どきどきしながら時を過ごす。
都合の良いことばかりとは限らないから、それも刺激の一つとして旅は楽しい。
都合の良いことばかりとは限らないから、それも刺激の一つとして旅は楽しい。
建築家と建設関係者のグループに混じって、2日間にわたり「瀬戸内芸術祭」を巡ってきた。
3年ごとに開催されているこの催しには、「アートと島を巡る瀬戸内海の四季」と
サブタイトルが付されている。
サブタイトルが付されている。
アート作品を目指して、船とバスと足を使って瀬戸内海の大小の島々をまわることになる。
淡路島生まれの私だが、はじめての島ばかりだった。
目にする風景は首都圏での私たちの日常とはまったく異なる、まさに知らないところである。
だが高松港での光景は、高速艇やフェリーなど大小の船がひっきりなしに出入りしていて、
都会の(バスや電車の)ターミナルの様子にも似た活気があった。
船を足とするここでの暮らしが想像されて新鮮だ。
目にする風景は首都圏での私たちの日常とはまったく異なる、まさに知らないところである。
だが高松港での光景は、高速艇やフェリーなど大小の船がひっきりなしに出入りしていて、
都会の(バスや電車の)ターミナルの様子にも似た活気があった。
船を足とするここでの暮らしが想像されて新鮮だ。
高松を基地に、豊島(てしま)・犬島・直島と渡って、芸術祭の建築とアート作品を見てまわる。
アート作品はそれらを納める器、つまり建築と密接に関係しているし、豊島美術館などは
建築そのものをアートとして空間の緊張や調和を楽しむことになる。
そして瀬戸内の風光の中を巡ってそこに至ったことを思うと、アート作品にたどり着くまでの
壮大な「空間と時間の体験が作品」なんだ!と思い至った。
建築そのものをアートとして空間の緊張や調和を楽しむことになる。
そして瀬戸内の風光の中を巡ってそこに至ったことを思うと、アート作品にたどり着くまでの
壮大な「空間と時間の体験が作品」なんだ!と思い至った。
「芸術祭」の企画がそこまで計算した仕掛けなのだとすると、ただ感心するほかない。
こうしたことが楽しめる人間は、つくづく4次元時空の生きものだなと思う。
未知の空間が面白くて仕方ない。
こうしたことが楽しめる人間は、つくづく4次元時空の生きものだなと思う。
未知の空間が面白くて仕方ない。
建築家の蘊蓄を聞きながらアートや建築を愛でるつもりだったが、
瀬戸内の時空間をそのものを堪能する心弾む旅となった。
瀬戸内の時空間をそのものを堪能する心弾む旅となった。
そこで体験した感覚は、言葉や写真などでは到底伝えられない。
芸術祭が終わっても公開している施設は多くあるので、
是非訪ねて自ら体験されることをお奨めしたい。
芸術祭が終わっても公開している施設は多くあるので、
是非訪ねて自ら体験されることをお奨めしたい。
岡野祐三