アール・ブリュット・ジャポネ展

「アール・ブリュット・ジャポネ展」という展示の話です。

 

「アール・ブリュット・ジャポネ」とは、フランス語です。

 

アール→アート(芸術)

ブリュット→生(き)の

ジャポネ→日本

直訳すると「日本の生(き)の芸術」です。

 

絵を描くとき、作品を作り出すとき、

多くの人は、誰かに見られたときの事を考えると思います。

僕もそうです。

「情景が伝わるだろうか、他の人が見て分かる絵だろうか」

と、考えながら絵を描きます。

学校の課題や、コンクールで絵を描く人は

評価、審査をする人の目を気にしながら描くと思います。

 

デザインの仕事なんてなおさら。

まさに「人に見せるための仕事」です。

もとからある文書や情報を

ほかの人が見たときにより見やすく

より分かりやすくという事が目的です。

 

しかし「生きの芸術」は、そうではありません。

人に見られることを目的としません。

ただ感情の赴くまま絵を描きます。

 

例えば「キリン」というタイトルの絵があります。

確かに動物らしきシルエットが描かれていますが

?????

首も描かれてないし、キリンの要素がない・・・

けど、それでいいんです。タイトルはキリン。

描いた本人が、そうタイトルを付けたのなら、それはキリンです。

 

考えれば解読できそうなものもあります。

例えばコレ。

日記だそうです。

 

 

模様のように見えます。

塗ってある部分を取り払って

こうしてみたらどうでしょう。

 

 

 

こうすると文字っぽいですね。

画面の上の方に「月」「日」らしき文字も見つけられますし

下の方には「へらいたかのり」という名前も読み取れます。

 

 

こんな絵もありました。

 

 

風景です。町です。

鉄道が走っていたり、河が流れていたりします。

 

この絵、すべて記憶だけで描いているそうです。

じーっと風景を見つめ、帰ってきてから記憶を頼りに黙々と絵を描き続ける。

 

他にも電車の形を全て把握している人の絵。

60年以上も前の風景を鮮明に思い起こして描かれた絵。

 

どれもこれも、夢中になって観てしまいます。

描いている人も、本当に夢中になって描いていたのではないでしょうか。

時間や収入なんて概念、あるはずもないでしょう。

 

たとえその絵が何なのか分からなくても

描いた人の感情やエネルギーがそのままストレートに絵になっている様は

とてもエネルギッシュな作品ばかりで本当に圧倒されました。

 

わかりにくくていい。理解されなくていい。

そんな世界もある。

ということを改めて感じさせてくれる展示でした。

文:大友

 

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