着眼点の面白さ 着想の柔らかさ

 
赤瀬川原平氏の着眼と発想には「やられてばかり」いる。
『四角形の歴史』赤瀬川原平/毎日新聞社 
新しい本ではないが、たまたま見つけたこの本でもそうだった。
犬は風景をどう見ているのか…をきっかけに、著者は風景について考える。
 
普通「風景」といったとき、何を思い浮かべるだろうか。
富士山だったり、夕焼けシーンなどの光景? または「風景写真」…
「泰西名画」などの絵画? 
風景を「意識」し、さらに「鑑賞」の対象と考え始めたのは
人類史でも最近のこと…と、どこかで聞いた。
さまざまな「光景」が私達の身の周りに溢れている。
しかしそれを気に止めて「風景」として観ることは
日常ではまず無いのではないだろうか。
まして風景がいつから存在しているのか…疑問を抱く人が
どれだけいるだろう。


 

そんな疑問を思いついただけでなく、著者は「四角形の歴史」を通して
その起源の説明まで試みる。
曰わく、犬は自分の必要とする対象物だけを注視し、背景は見ていない。
人間もおそらく始めはそうであった。
それを意識するのは、人類文明に「四角形」の枠が出現してから後のことだと…。
額縁に依頼主の肖像を描いた余白に初めて背景を描き込んで
これが風景を意識するきっかけだとする。
そして人が初めて風景だけを描いて鑑賞するのは
「印象派」以降なのだそうだ。
加えて著者は原始の時代にさかのぼって、
直線から始まる「四角形」の出現?(発明?)の歴史まで考えを巡らせる。
「子供の哲学/大人の絵本」シリーズの1冊だが、
大人も「なーるほど」の展開になっている。
ホントかどうかはともかく、その納得の大きな部分が
意表を突いた着想の面白さと、展開のうまさによっている。
赤瀬川原平氏ならではの世界なのである。

 
赤瀬川原平氏は前衛芸術家から始まって視覚表現では画家・写真家であり、
また文筆活動でもエッセイスト・芥川賞作家といった
蒼々たる活動の幅であるが、「トマソン」「路上考現学」
「老人力」などに代表される、意表を突く発想と表現が次々と現れ
枯れることがない。鋭い観察者と無類の面白がり屋が同居して
その世界観は肩から力の抜けて人を引きつける。
我が身に欠如したその着眼・着想に、
どうにも吸い寄せられてしまうのだった。
20代の頃から今日まで、この頭の柔らかさが
私はうらやましくて仕方がない。
 
岡野祐三

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