Go Green

世の中の仕組みから日常生活まで、これだけデジタル情報の影響下に
営まれてくると、それを拒むことは普通は出来ない。
進歩の名のもと利便性追求の結果であり、都市部から地方まで日々の暮らしを
そこに依存し委ねて生きざるをえない。
だが人が人間である以上、原初の不便さを希求する心情は、
どこかにわき起こってくるものなのではないだろうか。
そのことを裏付けたように感じたのがこの雑誌の特集だった。


表紙photo

しばらく前の「BRUTUS:森へ還る」だ。
隣の「Tarzan:アウトドア入門」も気になったが、子熊2匹の
可愛くもふしぎな表紙に「何が起こった?」と思わずこちらを手に取った。
内容は…あまりに大きい北米の巨木から始まって、都会の森・森の音楽・本・
Goods・人…と網羅した「森」に関する大特集だった。
編集も見せ方も『BRUTUS』らしい都会的な切り口であって、
土臭いむき出しの野性では無い。
けれど、自然とのその距離感は都市化・脳化(養老孟司『バカの壁』)しつつある
今の日本では、だろうな…とリアルに感じられる。


トンボを見かけない、野原が無くなった。木に登ったことがない、
久しく土をいじった覚えがない…都会的に暮らしている今の多くの人々にとって、
自然はどんどん遠い存在になりつつある。
だが自然が無くなってしまったわけではない。体験や意識の中から
遠ざかっているに過ぎない。
そのことに気づいたとき「Go Green」なのだが、いきなり荒々しい野生に
向うのでなく、生活の周辺的なところ…本や音楽から入ろうというのだろう。
ファッションから始めるらしい「山ガール」も似ているが、そこがリアルだ。
広がっている距離を埋めるための方法は必要だ。形から入るといって
笑うこともできるが、「森へ還る」欲求に気づくき、ハードルを越えようと
試みるだけでも大したことではないか。

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最近、いろいろな領域で「Go Green」へのアプローチと、
さらに1歩踏み込んだ実践があることに気づく。
「eco志向」「環境意識」「食料自給」への関心といった理由はすぐに考えられる。
だが関心があってももなかなか一歩踏み出させないのが普通だろう。
ところが中高年のものと思われていた山で、ファッショナブルな女性たちを沢山見かける。
私自身もそうした傾向が以前からあった。
今年はことに山づいて富士登山など多くの山に出かけたが、
特に大きかったことは、ここ数年の念願だった「田んぼ」への一歩を
この春から始められたことである。
すると、思いがけなく身辺に農業志向の人が多くいることがわったり、
田んぼにも世代を越えた多くの参加者がいた。都市依存の強い私たちにとって
田圃の世界はなかなかハードルが高く、間口が開かれているわけではない。
だがきっかけも能書きも皆それぞれなのだろうが、引きつけられるように
「Go Green」へ一歩踏み出している人たちが、たくさんいるのではないだろうか。

 Go Greenしてみると、想像を超えて「体が喜んでいる」ことを体験する。
「Go Green」とはこの身体性への志向だったのだと思いあたる。
都市化・脳化に対しバランスをとるかのような自然(田舎)・身体性への傾向。

デジタル情報の世界へ突き進む流れ… 反対方向に身体が渇望する野性… それが「Go Green」への志向なのだと思う。シーソーでバランスをとるように。

岡野祐三

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