Leonardo da Vinci The Graphic Work
2015年4月28日
2020年10月2日
漫画・アニメはもとより、
アートからインフォメーショングラフィックまで
二次元のビジュアルは昔から好きで、
何でも眺めて来ました。
完成された「作品」は勿論良いのですが
作品を作る為に描かれた試行錯誤のメモやスケッチもまた良くて
いったいどんな事を考えながら描いたのか
作者の思考を想像すると、創作過程を追いかけるようでとても面白い。
画家のラフやスケッチ、クロッキーとか試し書きは、
普通、作品では絵の具の底に隠れて見えない描線が
直に見られるのでワクワクする。
メモからスケッチを繰り返して、漠然としたイメージを
形に収束させてデザインが決まる過程など、不思議な感じ。
目的のラインを探して迷う線も良いが、
思い向くままに手を動かしていて生まれた線が描き出す
「描けちゃった」的な落書きも好きだ。
そういう、なんでもないラフや、メモや、落書きを見る機会はマレで
昔、コミケなどで「蔵出し」という形で売り出されるモノを
見つけて買いあさるくらいしか出来なかった。
そんな「作品」ではない「(という意味で)落書き」の中でも
頂点に位置し、その存在を知りつつも
内容をじっくり見る事は無いだろうと
諦めていた落書き帳。
それが「レオナルド ダ ビンチ」のスケッチブック。
何年か前に、それを展示した展覧会が有ったのだが
不覚にも行きそびれた。
聞けば相当な混雑だったらしい。
せめて図録でも手に入ればと、思った事もあったが。
そのタイミングも逸して久しく、また頭の片隅に
いつか見たいとメモした付箋だけが残されていた。
つい最近のある日、洋書売り場に行くと小さな、
しかし、分厚くて重い「Leonardo da Vinci」という本が置かれていた。
直感的に「これは!あれだ!」と分かり、値段も確認せずにレジへ。
一瞬、研究論文だったら…という思いもよぎったが、
帰ってビニールをはがし開くと、まさにあの
「レオナルド ダ ビンチ」のスケッチブック(を、収集・編集した解説本)だった!
解説ているであろう英文の方は、ほとんど読めないのですが、
収録されている図版は、
レオナルド ダ ビンチの興味・関心のの赴くままに
怒濤のごとく描き散らかしたスケッチの数々。
これはスゴイ。いつまでも眺めていられる。
ご存知の通り、めちゃくちゃ絵が描ける人なだけに、
脳のイメージがほぼストレートに、紙の上にアウトプット出来ているはず。
ビジュアルと言葉(鏡文字)で、脳みそからドバーッと
溢れ出したようなメモの、質と量のすごさ。
自分もサイエンスイラストを描く際に、もちろん資料を集めますが
以前は、出版社で収集した専門書の質と量に頼って何とかしていました。
あまりに専門的なモノになると、監修の先生に資料をコピーしていただいたり、
実際に描くまでに、とにかく時間と労力と
記憶(あの資料はどの本だったか、など)が頼りでした。
現在はとにかく「検索」。
資料を所有するスペースも無ければ、時間も予算も無いので、
人差し指の微動だけで、てっとり早く済ませられる「検索」はホントに便利。
レオナルド ダ ビンチは勿論、
Googleなんて無かった時代の人。
それどころか、図書館も無いかも。
いや、本すらまともに無い時代だった。
そもそも、写真無いし。
挿絵が付いていたとしても、
レオナルド ダ ビンチ本人の方が絶対上手い。
そんな時代に描き残された鬼のようなスケッチを眺めると、
あれ?どうなってんだ?と思ったら、とにかく実物を見に行く。
見たモノをメモる。
構造を解析して考える。
それをメモる。描き残す。
解析した形を創造の骨格としてイメージを飛躍させる。
スケッチしてみる。表現にする。求める形に再構築する。
その一連の過程がこの本に残されている。
スケッチを眺めるたびに発見がある。
いつまでも眺めていられる。
以前お気に入りで持って来た「寺田克也」や、
「ショーン・タン」「ロニー・デル・カルメン」のスケッチブックも神レベル。
リスペクト。あこがれ。
さらさらと絵が描けるようになりたいですなぁ。
文責:やまだ