音のアートを観に行く

坂本龍一 | 音を視る 時を聴く
東京都現代美術館
2024年12月21日(土)- 2025年3月30日(日)
一般2,400円

木場駅から木場公園を縦断し、橋を渡った先に建つ「東京都現代美術館」。
久しぶりに来た。

2023年に亡くなられた坂本龍一がトライしてきた表現活動を
ひとところにまとめた大規模な展覧会とのこと。
それぞれひとつひとつの展示が、一回一回別の展覧会だったと考えると
今回の個展のデカさが想像できるかと。

チケット買うのに並び、入場するのにも並び、というくらい
人が多く、今なおサカモト教授の活動に興味関心が高いということが伺える。
昔ながらのファンとして嬉しくもあり、
こんなに沢山来てしまう事の残念感(ゆっくり見れないじゃん)も感じつつ。
列を眺めると、自分と同世代のおじさんを中心に、
スタイリッシュな若者やエレガントな女性も多く、みんな頭良さそう。
着ている服の色がなぜか全員黒かグレー。俺だけまさかのピンクのシャツ。頭悪そう。
なぜかしっかりとした一眼レフを下げた人も多かった。(実は撮影可の作品も有り)
それから外国人の方々も沢山並んでいた。さすが教授。

しかしまー、作品の内容からして、出来れば静寂の中一点一点と向き合い
心落ち着けて観覧(視聴)したい所であるが、それは不可能でした。
つねにザワザワ、ワサワサ、ゴソゴソ、モソモソ。
音と映像の作品になると、視聴方向が正面に固定された中でエンドレスに繰り返されるので
途中から見始めた人は、途中で出ていくし、隙間を見つけて立ち止まると
画面の端から斜めに視聴するハメになり、向こう側の映像はほとんど見えず
視聴している後ろが、別の展示室から次の展示室へ移動する通路になっていたり
水の音や風の音を含んだ教授の「音」が遠のき。
それでも、この混雑を考えると神がかり的に鑑賞者のマナーが相当良いので、
なんとか破綻せずに鑑賞できるのだが
どうしても鑑賞者の動きや音が途切れない。
かといって、作品ごとに一回一回出入りを区切っていたら、
おそらく相当入場者数を制限されるだろう。

本気で向き合うためになら、何度も来館して、
数作品ずつ丁寧に視聴するのがベストだと思う。
とは言え、入場料、高いなぁ。絵や彫刻系に比べると結構高い。
作品の規模が大きく、そも音の芸術なので、音にもこだわるため特別な装置ありきの「作品」。
おそらく管理及び維持費も相当だと思う。
絵や彫刻とは全く違ったアート。
入場料にも乗りますわ。

作品鑑賞の感想
「音楽を視る 時を聴く」という副題があり。
ただのコンサート。演奏者のパフォーマンス。映像+音楽
という、ありきたりなくくりではなく。
音楽を作品として鑑賞する体験を可能にするためのココロミ。
実験的で、哲学的で、思想的。挑戦的でもある。
絵や彫刻といったモノとは違い、作品との距離感が圧倒的に違う。
無色で形のない素材なので、視ることも触ることもできない。
音は空間に放たれ、鑑賞者に届き、鼓膜を振るわせ、あるいは肌に触れて初めて存在感を表す。
体感して初めて鑑賞できる作品だ。
音は、映像と寄り添う事で詩的な鑑賞をうながしたり。
音に、具体的なモノの存在が重なって意味が立ち現れたり。
音が、抽象的な色や動きを作り出したり。
音を、モノに変換させて現象として表現したり。
中でも、たくさんのi-phoneを使って複数の映像が繰り返し映し出される小作品が
いくつも展示された小部屋があったが。(説明が難しい。観に行って)
同時に繰り返されるいくつかの映像のまとまりが、
それぞれの画像に録音された「音」の重なりとあいまって
「ある日」という音楽になっていたり。
「ある時」という音楽になっていたり。
「雨の日」という音楽になっていたり。
「仕事部屋」という音楽になっていたり。
ずーっと見てられる作品群だった。

また行きたいな。
平日の午前中とか良さそうだけど…。

帰る頃にもまだ行列

1月29日、10時から日時指定のチケット販売になるそうです。
土日の混雑が相当だった模様。
展示作品が「音」なので、一つの作品に「空間」と「時間」が必要。
観客がどんなに頑張っても大人数が動き続けるとそりゃ、ねぇ。
ちゃんと作品見て(聞いて)もらいたいし。
もっともな配慮かと。

文と写真:やまだ

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