例によって古本屋の書棚を眺めていると 向こうから手が伸びてこちらが引き寄せられるという本がある

1冊は 椋 鳩十「夕焼け色のさようなら」


 

 

伊那谷から北アルプスに沈む夕陽の装幀で 

児童文学界の重鎮である著者を理論社の社長の小宮山量平自らが

編集して作った本だ 副題が 椋先生が遺した33章 になっている

椋さんが亡くなったのが1987年とあるからもう四半世紀前の本だ

亡くなった椋さんを追悼して作ったものだろう

こどもならず大人達まで魂をぎゅっと捕まえてしまう椋文学は

どこまでも息づかいがナチュラルだ 

力んだりミエを切ったりというところがなくほのぼのとあたたかい

装幀もサインペンでかいたような柔らかいタッチの書体だ

多少野暮であり格好よさを求めていない

そのままが大事にされている デザイナーにとっては難しい

装幀ではないだろうか

書名はアルプスの少女ハイジに出てくるお爺さんの言葉である

この世でもっとも美しいのはお日様が全てのものに

さようならのあいさつする夕焼けだよ からきている

小宮山にとって椋こそ少年たちの魂に語りかける術を持った

お爺さんであり太陽だったのである 人間の美しさとは何か

心とはなにか 深いところが浸みる

 

もう1冊は 覚 和歌子「ゼロになるからだ」


 

 

この本は装幀がナチュラルなものを提出しているが

椋の本とは対極のデザイナー好みのシンプル志向である

異形の粘土の面と空間たっぷりのさっぱりした空間が気持ちよい

感覚を捕まえる計算が何もないところに隠れている

都会的で洗練がある

生きている不思議と死んでいく不思議を両方から

思い描く気の流れが横溢しているみずみずしい物語詩だ

 

 そのひとを愛するときは

 死んだ人を思うように 

 けれどいつかまた逢えたら

 やっぱりめちゃくちゃにだきしめてしまうだろう

 そのときはもう

 大切なものをわざとすこし乱暴に扱うように

 背中なんかを ぱんぱんたたいて

 あなたが本当に死んでなくてよかったと

 そのことだけで うれしいといい

 ・・・

という感じで歯切れがいい

ふと最後の詩をみたら いつも何度でも

と書いてあった

 呼んでいる 胸のどこか奥で

 いつも心躍る 夢を見たい  

 ・・・

あの 千と千尋の神隠し テーマソングの著者であった

 

堀木一男

 

 

 

 

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