書藝問道 ブックデザイナー 呂敬人の軌跡
ggg 2025年02月12日(水)~2025年03月27日(木)

中国の本には大変興味があって。
観光で行った上海旅行のコースに「書店」を入れてもらうほど。
実際、8階建ての大型書店と、小さな美術系専門書店(?)を見て巡り大変興奮し感動した。
画集と、漫画と、書の教科書を何冊か購入し、空港でもブックスタンドでファッション雑誌やライフスタイルの雑誌を購入して帰ってきた。また買いに行きたい。
中国の本は美しい。画集なんかは美術品みたい。
しかも、昔ながらの?紐閉じの本も新刊として店頭に並ぶ。
横組の本が多く、縦で組まれた本の方が少ない。
それから、意外に感じたこととして総じて「高価」。
逆に書の教科書は(質は悪いが)ベラボーに安かった。
物価の違いから、もっと手当たり次第に買えると思っていたが、感覚としては日本と同じ値頃感。
つまり、中国の人にとっては日本人が日本で買う定価の、数倍から10倍近い感覚になるという感じじゃなかろうか。
なので、
書店にお客が少なかった。



そんなことを思い出しながら、中国ブックデザイナーの重鎮呂敬人の代表的な書籍を拝見する。
本を入れる行李からデザインしている本や、巻物、伝統的な紐閉じの本、
漢文が彫刻されたブックケースや、ケースが碁盤になっている本など、
本の概念がどうにかなってしまうような発想力。そして、そんな過剰包装を当たり前のようにデザインに落とし込んでしまえる中華の伝統的な工芸力。呂敬人さん、73歳。マジですごい。


地下階は、もう少し「本」に寄せた作品が並ぶが、それでも工芸品や、芸術品に近い本が並ぶ。
一つ一つの存在感が強烈。オブジェクト感が爆発している。
本棚に整然と並べておける類の品物では無い。
コーヒー片手にパラパラとめくるという軽い空気感は無い。
一冊一冊にオーラを纏ったような世界観があり、向き合い、浸り、没入し、読むという思考の旅をするための道具だと思った。
所有することにすごく満足感を得られるような本だな。


で、これ、ひとついくらなのかしら。
発行部数もそれほど多くはないはずだ。
ほとんどハンドメイドのような作り込みを見るに、10万部の大ヒット、重版出来、という類の本では、無い。
(そういえば、中国の本屋さんの店頭に平積みされたベストセラーは、ペーパーブックスのようなチープさだったな)


ふと
なんだか、スピードや量においてインターネットの登場から負け続けている「出版」の、紙の本が売れないなら、じゃぁ電子版でも買えるようにしようといった戦い方が見当違いなのかもしれないという気がしてくる。情報としての内容を考えるのであれば、装丁や編集なんてのは余計な情報で、むしろ無加工かつ、剥き出しのまま送り出すのが正しく、「編集」だっておのおの勝手に「生成AI」を使ってしまえば問題ない時代、良くも悪くもスピードと量においてネットに「書籍」が叶うはずもなく、むしろ、「本」にできることは、こうして「情報」とは真逆の方向にモノ化すること。「固めて残す」という方向性が生き残る術ではなかろうか。そういう「残す」ためのブックデザインがメインになるかも。
(とはいえ、ごく一部の金持ち好事家のための本しか作らなくなったらそれこそ「出版」の意味が問われるわ)
ささやかな、変化の兆しとして「リトルプレス」という世界が熱を帯び始めているのかもしれない。
ニュースで文芸系のアマチュア有志のイベントが賑わいを見せているといった報道をよく見る。
プロの作家もよく参加しているという話も聞く。その盛況ぶりは出版の低迷との比較で伝えられるみたいだ。
自分の価値観を満たす趣味にはお金をかけても良いかもという購買層の存在が強みだ。
かくいう私も同人歴が長く、ZINとか大好物。アートブックフェアなどに何度か足を運んだこともある。
そういえば昔、会社で映画『世界一美しい本を作る男〜シュタイデルとの旅〜』を観に行った。
こちらも全てハンドメイドによって製本された、芸術系の書籍を多く扱っている。
発行部数が少ない私家版や初回限定は数万〜数十万円から、簡易版でも数千円からという豪華本だ。
シュタイデル出版もいわゆるリトルプレス(社屋は郊外にあり、敷地は広く、工房をいくつも構える国際的な有名出版社ではあるが)といえる気がする。
そんな投資的な本もありのの、
コーヒー片手に眺める本の良さも本の価値。
文庫本や雑誌でも、薄い厚いや、手にしたサイズ感、質感、本ごとの表紙、あるいは自分で巻くカバーとかまで含めて、内容が読めれば良いだけの電子書籍では置き換えられない空気感てあると思うんだが。
とりとめが無くなり、終。
写真・文責:やまだ