企画展「吉田克朗展」

企画展「吉田克朗展」

僕自信が宇宙になり、宇宙が僕自身となる

埼玉県立近代美術館(北浦和)7月13日~9月23日

明星大学に芸術系の学部が新設されて、

1993年に一期生としてたまたま入学できたことで

いくつもの出会いがあり、のちの進路につながるなどして今に至るのだが、

人生の分岐点としての重要な一瞬として捉えられる出来事であった。

大事な出会いの中の一つに、必須項目として素材研究という科目があり、

各学部の先生との出会いや、その後の進路を定めることになる講義を受ける機会があった。

その中の、版画の教授としてアトリエにいたのは「吉田克朗」先生だった。

モサモサ頭に鼻下にあふれる口髭。

ニンと笑うと歯が髭の下に見える。

吉田のかっちゃん。

そんな印象の教授だった。

大学時代にほんの少し、会話したことがある先生だった。

友人が版画を専攻していたということもあって、

たびたび吉田先生の話が聞こえてきていたということもあったが、

大学卒業してまもなく(1999年)

「吉田克朗」の訃報を耳にした。

没後25年。

そんなになるか。

という、感慨と共に埼玉県立近代美術館で行われている「吉田克朗展」を観にいった。

実は戦後日本の芸術運動の一つを牽引する、名前のある先生だったりするのだが

入学したての学生時分には、よく知りもせずに「吉田のかっちゃん」呼ばりの気楽さで、

不勉強も甚だしい。今にして思えば、相当恥ずかしい。

「もの派」という前衛的な芸術運動からスタートする展覧会。

作品としては残らない「インスタレーション」に類する表現だったが、

当時のメモや写真などを参考に再制作された大型の作品が並ぶ。

その概念は、聞いてもつかみどころがなく、観てもすっかりわからない。

終始、「なんだろう」と考え続けるような作品。綺麗ではない、美しくはない、

何かではなく、素材そのものでしかない、意図が曖昧で、テーマが不明瞭で、

「信じてください、今、私が話していることは本当に嘘なんです」みたいな。

「もの派」から始まるも、そのルールから徐々に離れながら「もの派」的なアプローチは続き

その過程で「版画」という手法も取り入れ、やがて「絵画」へと表現が拡大され解釈されていく。

哲学な芸術

スケッチやデッサンは、ほとんどないのだが、

代わりに行きつ戻りつする思考の連続を言葉に書き留めたノートが何冊も展示してあった。

思考にとらわれないための思考を繰り返すような、潜るような。彷徨うような。

それでいて表現にはとらわれず、思考をダイレクトに表出するために変化していく。

次はどんな世界になるのか、期待したところで不意に展示が終わる。

享年55歳。

昨今、「売れる作品作れるのが芸術家」という風潮を感じていて、

芸術家ってなんだろうと思っていたが。

純粋な芸術的探究の冒険の痕跡を見たような印象だった。

吉田のかっちゃん、こんなエライコトしていたのかと、

それでいてあの飄々とした佇まいは仙人みたいな人だったんだなと、

いまさら感心した展覧会でした。

文責・写真:やまだ

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