「弱いロボット」

全てのプロダクトは、高機能、高性能、最先端、機能美、高出力などの上に成り立っており、少し時間が経つと次の高機能、高性能、最先端などによりすぐに型落ち、ローテク、流行遅れ、陳腐化、ダサ…というのがその宿命とするならば。その最高峰たるロボットなどは最たるものであると思っていた。

が、岡田教授の「弱いロボット」を見て衝撃を受けた。
(テレビで紹介されていたのは「Sociable Trash Box」とティッシュを配ってくれる「i-Bones」)

よ、弱い。
高機能、高性能、最先端、機能美、高出力などとは真逆であり、型落ち、ローテク、流行遅れ、陳腐化などとも無縁の…圧倒的な弱さ。
しかし、圧倒的な「ほっとけない」感を発揮するのだ。
ロボットの機能がうんぬんという話ではなく、むしろ人間の元々持っている感覚や能力(例えば共感力)を引き出すための装置じゃないかと感じた。
それが「弱いロボット」
この視点。すごい。

非力で物覚えも悪い不出来な人間の補助、補完から、機能拡張、代行というベクトルではなく、人を信じているところからのスタートが感動的。
子供たちの方がこのロボットたちとの関係を築いていく傾向が強いようで、映像では実際に、率先してロボットたちを助けていく様子が微笑ましかった。

自分でも掃除ロボットはルンバより、弱いロボットの仲間であるSociable Trash Boxを3台くらい、家に放っておきたい。
足元をうろちょろするバケツは可愛いし、あれ?と思ったら一つのゴミをじーっと見つめている3台を発見したり。ゴミかどうかも人判断というのも面白い。バケツが困らないように部屋を片付けておかないとね。という気になる。

効率を考えれば、無駄と言われてそれまでなのかもしれない。
なんでも人の代わりにロボット(やAI)がやれば、効率が良く無駄が少なく経済的かもしれない。
が、その先にハッピーな人の姿をイメージすることが、僕はまだできない。
だけどこの「弱いロボット」が進化する先には、何か笑顔になるビジュアルを感じた。

ロボットが、こういう進化もしていたのかと目からウロコの特集でした。

文責:やまだ

岡田先生:豊橋技術科学大学 岡田美智男教授
http://www.icd.cs.tut.ac.jp

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