Leonardo da Vinci The Graphic Work

漫画・アニメはもとより、
アートからインフォメーショングラフィックまで
二次元のビジュアルは昔から好きで、
何でも眺めて来ました。
完成された「作品」は勿論良いのですが
作品を作る為に描かれた試行錯誤のメモやスケッチもまた良くて
いったいどんな事を考えながら描いたのか
作者の思考を想像すると、創作過程を追いかけるようでとても面白い。
画家のラフやスケッチ、クロッキーとか試し書きは、
普通、作品では絵の具の底に隠れて見えない描線が
直に見られるのでワクワクする。
メモからスケッチを繰り返して、漠然としたイメージを
形に収束させてデザインが決まる過程など、不思議な感じ。
目的のラインを探して迷う線も良いが、
思い向くままに手を動かしていて生まれた線が描き出す
「描けちゃった」的な落書きも好きだ。
そういう、なんでもないラフや、メモや、落書きを見る機会はマレで
昔、コミケなどで「蔵出し」という形で売り出されるモノを
見つけて買いあさるくらいしか出来なかった。
そんな「作品」ではない「(という意味で)落書き」の中でも
頂点に位置し、その存在を知りつつも
内容をじっくり見る事は無いだろうと
諦めていた落書き帳。
それが「レオナルド ダ ビンチ」のスケッチブック。
何年か前に、それを展示した展覧会が有ったのだが
不覚にも行きそびれた。
聞けば相当な混雑だったらしい。
せめて図録でも手に入ればと、思った事もあったが。
そのタイミングも逸して久しく、また頭の片隅に
いつか見たいとメモした付箋だけが残されていた。
つい最近のある日、洋書売り場に行くと小さな、
しかし、分厚くて重い「Leonardo da Vinci」という本が置かれていた。
直感的に「これは!あれだ!」と分かり、値段も確認せずにレジへ。
一瞬、研究論文だったら…という思いもよぎったが、
帰ってビニールをはがし開くと、まさにあの
「レオナルド ダ ビンチ」のスケッチブック(を、収集・編集した解説本)だった!
解説ているであろう英文の方は、ほとんど読めないのですが、
収録されている図版は、
レオナルド ダ ビンチの興味・関心のの赴くままに
怒濤のごとく描き散らかしたスケッチの数々。
これはスゴイ。いつまでも眺めていられる。
ご存知の通り、めちゃくちゃ絵が描ける人なだけに、
脳のイメージがほぼストレートに、紙の上にアウトプット出来ているはず。
ビジュアルと言葉(鏡文字)で、脳みそからドバーッと
溢れ出したようなメモの、質と量のすごさ。
キング オブ メモ魔。

自分もサイエンスイラストを描く際に、もちろん資料を集めますが
以前は、出版社で収集した専門書の質と量に頼って何とかしていました。
あまりに専門的なモノになると、監修の先生に資料をコピーしていただいたり、
実際に描くまでに、とにかく時間と労力と
記憶(あの資料はどの本だったか、など)が頼りでした。
現在はとにかく「検索」。
資料を所有するスペースも無ければ、時間も予算も無いので、
人差し指の微動だけで、てっとり早く済ませられる「検索」はホントに便利。
レオナルド ダ ビンチは勿論、
Googleなんて無かった時代の人。
それどころか、図書館も無いかも。
いや、本すらまともに無い時代だった。
そもそも、写真無いし。
挿絵が付いていたとしても、
レオナルド ダ ビンチ本人の方が絶対上手い。
そんな時代に描き残された鬼のようなスケッチを眺めると、
創造に対する執念を感じずにはいられない。

あれ?どうなってんだ?と思ったら、とにかく実物を見に行く。
見たモノをメモる。
構造を解析して考える。
それをメモる。描き残す。
解析した形を創造の骨格としてイメージを飛躍させる。
スケッチしてみる。表現にする。求める形に再構築する。
その一連の過程がこの本に残されている。
スケッチを眺めるたびに発見がある。
いつまでも眺めていられる。
以前お気に入りで持って来た「寺田克也」や、
「ショーン・タン」「ロニー・デル・カルメン」のスケッチブックも神レベル。
リスペクト。あこがれ。
さらさらと絵が描けるようになりたいですなぁ。
文責:やまだ

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